マナー違反だからという理由だったが、自分には良く分からなかった。
移動しながら食べることで時間の節約になるし、食べるものにこだわりは無かったから、空腹が満たされればそれで良かった。
歩きながら食事をするということは、とても合理的なことなのだ。食事に何十分も時間を費やしているなんて、”アホなんじゃないか?”と思っていた時期すらあった。
今は飽食の時代。食べ物は巷に溢れかえっていて、困ることはない。そして安い。
つまり、食事をするためにお金も時間も大して必要ではない。
適当に仕事をして、適当に給料をもらってさえいれば、簡単に生きることができる。
(これは戦後に頑張ってくれた人たちが残してくれた遺産だから、感謝しよう!)
しかし、これには大きな弊害がある。
簡単に生きれてしまうために、命までもが簡単に、そして安っぽくなってしまうのだ。
生きるために大した努力をしなくなるためだと、僕は思う。
食事は本来、もっと有難いものなのだ。日々を生き延びるためのイニシエーションと言ってもいい。
つまりは、歩きながら食事をするということは生きることを軽視しているという事になる!
安っぽく見えてしまう、分かりやすい例が3つある。
例1 コンビニでの買い食い
コンビニの前で、パンやカップラーメンを食すサラリーマンや学生を見てみてほしい。パンを頬張るだけで、ラーメンをすするだけで、とても安っぽく見えないだろうか?
佇まいが、人格が、服装すらも!
例2 牛丼屋のオッサン
カウンターに並び、背中を丸めて、終始無言。食べ終わったらそそくさと出て行く。是非、ガラス越しに観察してほしい。あの寂しい空気感を。あの安っぽく擦れきった風景を。
明らかに人生を謳歌してないだろって感じを。
(特に松屋がオススメ)
(店内を出たり入ったりする様は、搾乳器に並ぶ牛に似ている)
例3 朝食シリアル
必要な栄養素もきっちり補える健康食?いいえ、あれは見た目も機能も家畜の飼料です。
これを防ぐためには、今自分が食べているのは家畜の餌だということを、強く意識することだろう。
また、その店の空気感に飲まれないことも大切だ。
”家畜の餌系”の食べ物は極力口にしないというのも、出来る範囲で行ったほうがいいだろう。
(ちなみに僕の基準では、牛丼・マック・コンビニフード・カップラーメン・朝食シリアル・カロリーメイトなどがそれに当たる)
「頂きます」 「ごちそうさまでした」をきちんと言うことも、大切だと思う。(この歳になってこんなこと言うのもなんだか恥ずかしいけど)
時間が許すのならば、自炊もいい。
それと、歩きながら何かを食べるってことはもうしないことにする。
(何となくクリスタルじゃないし、シックでもないからね!)
物質的には豊かになったけど、明らかに精神的には貧しくなっている。
いろんなことが、安くなりすぎた。
だから自分の価値を高めるために、何かしなければならない。
まずは食べるものから。
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